【本当に「できる」?】同じ言葉でも持つ意味が違うと感じたこと

ゆっけです。

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「できます」と言う言葉を勘違いしてはいけない。「できる」とは動作も理屈もしっかり根拠付いている言わば完全にその物事を理解しこなせることで、曖昧な状態で「できます」なんて言うのはナンセンスなのだ。

 

しかし現実で「できます」が持つ意味は人それぞれで、できるのボーダーは曖昧かつ幅広い。ちょっと見たことある、少し知ってるなんて状態で「できます」なんて言う人もいる。

 

表面上は同じ言葉でも浅い思考から発言された「できる」は本来の「できる」とは全く違う、言葉のバックグラウンドが異なる。

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例えば、同じ理解度の2人の人がいたとする。

 

1人は、(何度かやった事があるがまだ理解が及ばないところがある。予想外の事態が起きたら対応しきれないかもしれない)「できません」と言った。

 

もう1人は、(何度かやった。ならばできると言える)「できます」と言った。

 

理解度は同等でも、1人目にとっての「できる」は、基礎を熟知し応用を利かせ、予想外の場合でもリカバリーが可能な状態としている。

対して2人目は、やったことがあるから感じは分かる、なのでできる。という意味合いで「できる」としている。思考のギャップ、価値観の相違が別々の答えを出したのだ。

 

以上のように、「できます」のボーダーは人さまざまで、できるかできないかの判断をこのような思考から導き出す。個人によってその言葉の重さが違うのだ。

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4月からもう3ヶ月が過ぎようとしている。新社会人の人たちも職場に馴染み仕事に慣れてきたところだろう。

 

「やる」と「やらない」は1と0の様だ。やらない状態は何も生み出さない。やれば前に進む。とりあえず手当たり次第やってみよう。

どんな仕事でも失敗はある、人が行うことに絶対はない。失敗はしていい。だが、仕事をする上で限りなく絶対を目指す姿勢も必要だ。

 

やるとなったら次は、「できる」か「できない」か、だ。一種のチャレンジ。できるといえば期待がかかる、成功すれば信用になる。逆に、「できます」と連呼するも思うような結果が得られなければ、チャンスを得にくくなってしまうだろう。「できる」は絶対な自信を持って発言する。

 

できます、この言葉で信用されるようになれれば即戦力だ。